鎌倉さんぽ2016

先日、鎌倉に行ってまいりました。
昨年新しくなった長谷寺観音の宝物館と、750年ぶりにお掃除をしたという大仏さんが目当てですー。
Hase
家を出た時は曇っていたのですが、友達と待ち合わせの長谷に到着した時には晴天!いやもう、おかげさまですごい人混みだったけどねー。
長谷寺の紅葉はやたら色づいているのもありましたがまだまだってところ。
階段途中に結構赤くなっている紅葉があって、カメラの人がたくさん溜まっておりました。
長谷寺の宝物館観音ミュージアムは、長谷寺縁起絵巻を出していました。
10月で開館一周年ということでしたが、まだ新しい建物の臭いが残っていてきれいでしたよー。
最近の展示らしく映像が充実していて、観音様の後ろっかわとか、観音様目線で参観者が見下ろせる映像が面白かったでございます。

でもって、ぞろぞろと長谷寺を出て、お隣の光則寺へ。ここは静かでお坊さんの勤行の声が響いておりました。ここは日蓮上人の弟子の日朝が閉じ込められた土牢のあるところ。鎌倉の土牢と言えば鎌倉宮が有名ですが、こっちのほうが間口はデカイのです。
山門すぐの楓がきれいに色づいておりました。

再び人混みに混じり、大仏様へ。
Daibutu

いやー、あいっかわらず、いつ来てもすごい人。真っ青な空にきれいになった大仏さんが鎮座ましましてました。ここのイチョウは早いのかな。2本ともかなり葉を落とし気味。
いつ行っても露座なのが不思議で、なんで覆屋を建てようと誰もしなかったのかなーと思うんですけど、やっぱりこの状態で見慣れちゃってると、鎌倉の大仏は青空の下で見なきゃあかーん!という心理が働くのですかねぇ。

大仏さんについた頃は晴天だったのですが、だんだん雲が出てまいりました。
でも、暖かいよ、鎌倉!流石だ鎌倉!(なんのこっちゃ)
長谷駅まで戻る道すがら、汗かいちゃうくらいだよー。
湘南のひじきを買って、いざ鎌倉!へ。
江ノ電まいどぎゅうぎゅう詰め。

ツレの姪っ子が受験生ってことなので、荏柄天神さんにお守りを買いに。鶴が丘地満宮は華麗にスルーです。でも、七五三がちらほら。着物でめかしてる子供はかわいいですね~。レンタル着物でめかしてるおねーちゃんはビミョーなのもいっぱいいますが・・・ってか、あんなに裾を上げて着るのが流行りなのか?足袋の上に裾って、それねーだろう。
 閑話休題

荏柄天神につく頃にはすっかり曇ってしまっておりましたが、それなりに賑やかでした。
それから、今日は鎌倉土牢巡りだぜ、イエー!ってことで、鎌倉宮にGO。
Kamakuragu
谷戸の奥のせいか、海沿いで日当たりもいい長谷より紅葉が早い気がします。
白い鳥居がいつも印象的な鎌倉宮。ここにも七五三の姿がチラホラと。
おそらく天園ハイキングコースを巡った様子の団体さんもぞろぞろと通っていきます。
再び鎌倉駅に戻り、お茶を飲んで一服するところを探しているうちに、お約束の豊島や本店で鳩サブレを買って、御成通り抜けて~。どこも混んでて大変です。
結局和田塚近くのカフェで一服。
さて、鎌倉駅に帰るのも芸がないから和田塚で江ノ電にノリましょーかねー、とか行ってウロウロしていたんですが・・・。江ノ電って、なんかこう、町の中走っているようで微妙に見えないもんなんですよね。
駅はどこじゃーとダラダラ歩いているうちに、ついてしまいましたよ、長谷駅!あらら。
それにしても、もう「日が暮れるってのになんでこんなに駅から反対方向に行く客が途絶えないのーと思ったら、長谷寺も大仏もライトアップだそうで。
因みに、この日は江ノ電の冬季ライトアップ点灯日でした。
更に、ギュウギュウ詰めの江ノ電に乗ったところ、江ノ島で大量にお客さん下車!
藤沢に到着して知ったのですが、この日は江ノ島のライトアップが始まる日だったそうで・・・。
道理で混んでいたはずだわ。

というわけで、半日ばかりの鎌倉散策は藤沢で終了。
そういえば、段かづらもすっかり新しくきれいになっていて、昔の面影はありませんでした・・・。
サクラが大きくなって日陰を作るようになるのは何年先なのかなー。
あそこまでみんな切って新しい木にしなくても良かったようなきがする・・・。Dan_2


皇居乾通り公開に行ってきました~

えーと、まずは「あかつき」金星軌道投入成功おめでとうございます(v^ー゜)ヤッタネ!!

で。皇居乾通りの秋季公開に行ってきました。
これは昨年、今上天皇陛下傘寿を記念して行われた一般公開が好評だったということで、今年も行われたものであります。5日間だけの開放ってことで、8日に仕事がお休みだったのでいい機会だと、行ってきました。

Photo_2

午前中に根津美術館に行っていたので、午後からの参戦です。
坂下門から入る、というので千代田線の二重橋前駅で下車したらいきなり、地下鉄出口の制限で本丸方面に出られない!(工事のためか公開のためかは謎)。
ともあれ、地上に出たら、あれ、思ったより人は少ない。こいつはラッキーと思いましたが、坂下門はそこに見えるのに、歩く歩く歩く・・・・・。
ぐる~~~っと回って二重橋の前を通り過ぎて、さらに進むと荷物チェックとボディチェック。やっと坂下門を通過!ここまでで10分くらいかな。30分ぐらいかかる場合もあると聞いていたので、まずは順調。

延々と一方通行に歩くのはどうかなぁ、と思うけど、へんに流れが分散して不審者が入ったりしたら大変だし、仕方ないやね。なんたって皇居だもん!警察官も宮内庁職員もご苦労様です。
坂下門を内側から見るのは初めて。
Kyuudennmae

正月なんかの一般参賀とは違う見学るーとなので、宮殿は左手、巽櫓が右手、正面は宮内庁。位置関係が判らなくなりますが~~~。
宮内庁前の広場からは石垣とお濠沿いに歩きます。ひたすら一方通行。ひたすらぞろぞろ歩くだけかなと思っていたけど、案外写真を撮ったりしている隙間もあります。各所で警備の人たちが、通りのど真ん中で立ち止まって写真は撮らないで。端っこによけてね、と注意を入れています。端っこよけたって十分な広さですしねぇ。
紅葉は少し盛りを過ぎたかな、という感じでしたが、トウカエデがきれいに色づいていました。松の緑と紅葉の赤や黄のコントラスト、そして石垣の灰色が対照的です。

それにしても!

石垣、立派や~~~。Isigaki
さすが天下の江戸城ですよ。上に建造物が残っていればまた壮観だったんでしょうけど、石垣だけでもものすごい造形ですよ。いや、ハンパない積み上げっぷりですよ。
あ、古い建物としては局門というのが残っていました。あと、名前は判らないけど長屋門風の建物も。こんなような建築物がかつてはこの敷地内のいたるところに建っていたんだろうなぁ、と想像するだけですごいです。

さてさて。ひたすら一方通行で真っ直ぐ乾門に抜けるか、東御苑の方に行くかは選択できます。
東御苑は行ったことあるけど(何度も)、いつもは通り抜けのできない東御苑はずれの門を通れますので、そっちにいってここは東京駅を目指すトコでしょう!竹橋からは帰りの乗り換えが増えちゃうし。
というわけで、東御苑にレッツゴー。
天主台の石垣上には観光客がいっぱい登って記念写真を撮ってました。
本丸跡をふらふらと散策して、大手門を目指します。
ちらほらとフユザクラや十月桜が咲いていました。
大手門は、平成20年に修理が終わって綺麗になってからそういえば行っていないのでゆっくり、と思ったらこちらもすごい人!出たところの信号待ちが大変なことになっているということで、通行規制かかってました。
すぐに出られましたけどね。
Otemon
お濠には白鳥が一羽羽を休めておりました。
ちらほらとカモの姿も。と思えばユリカモメが視線を横切る…その向こうに、一方通行の人の流れ。
うわ~、どっから来るんだろう。なんでこんなに集まるかな~(って、お前もその一人だ)、とひたすら感心しつつ、東京駅へと向かったのでした。
いや、ほんと、通り抜けたってだけで、それがどうしたという感じでしたが。
やっぱり皇居は広いなぁ。日本の首都にこういう空間があるのはいいなぁ~、とつくづく思いました。
でも、一回話のタネに通れば十分だわ~。次はほかの場所の公開をお願いします。

川越めぐり

ゴールデンウィークもあけた先日のお休みに、川越めぐりをしてまいりました。
何を隠そう!自分、百名城のスタンプゲッター。川越城のスタンプ狙いです。
しかーし!
オチを最初に言ってしまうとですな。・・・忘れたんですよ、スタンプ帳。
忘れたというか、間違えて「おくすり手帳」を持ていってしまったのですね。あほです、ハイ。
いつもスタンプ帳は通帳ケースに入れて持ち歩いているんですが、たまたま病院に行くので中身を入れ替えて、そのまま忘れていたんですね。電車に乗ってから気が付いたんです。
・・・実は、その前にお財布を忘れて(こっちの方が重大ミスである)、途中で家に引き返していたんですね。よほど慌てた出発でございました。だって、前日まで忙しかったんだもーん!トシでボケたわけじゃないもーん!と自己弁護しつつ、やっぱり事前の準備は大切なのですよ。

前置きはこの辺にして。
当日は晴天。

Kita
川越駅で友達と合流。まずはバスの一日乗車券をゲット。
川越のバス一日乗車券は東武バスとイーグルバスと二系統あるようなのですが、歩くのがそんなに苦になる面子ではないので頻繁には乗らないだろう、という判断で東武バスの方をチョイス。まずは喜多院まで乗車します。

喜多院では、バス停にシルバー人材センターの赤いシャツを着たおじちゃんが待ち構えていて、無料ガイドのオススメ。各所でトーク炸裂、なかなか解放してくれず予定を狂わされるガイドさんに遭遇している阿由多は一瞬ひるみましたが(いえね、時間があれば雑談余談裏話も楽しいんですけど、なにせ第一ポイントですからね。ここで長時間捕まっちゃうと)自分らしかバスから降りる客もなく、せっかくだし、とお願いすることに。

外回りだけって前話だったので、それでお願いしたけど、後で五百羅漢さんの中に別の人が入ってきてたのを見ました。頼めば全部案内してくれたのか、別料金なのか、それはナゾ。
喜多院は五百羅漢と春日局で有名なお寺さんです。
Rakan
ガイドさんは、家光誕生の間や春日局化粧の間、五百羅漢の見学をおすすめしつつも料金がかかることをとても恐縮していらっしゃいましたが(因みに羅漢さんは外からでも見える)、拝観料400円は安いですよ。勿論、全部見ました。
川越シル人のTさん、ガイド、ありがとうございました。Tosyo_2

喜多院から、境内続きの仙波東照宮に立ち寄り、再びバスに。
しかし、東照宮は規模が大きくても小さくても、どこに行っても東照宮ですなー。
とにかく、次なる目的地、川越城と市立博物館へ向かいます。
蔵の街で知られる川越ですが、メインスポットを一歩離れれば普通の住宅街。喜多院から川越城までは、健脚商売阿由多の感覚からいえば歩けない距離ではないんですが、歩いて楽しいって場所でもないし、そこは一日乗車券の有効活用です。2回乗れば元取れるし(せこい)。

Kawagoe
さて、川越城。以前出張で川越市博まで来て目の前にありながら寄れなかった川越城。幕末は嘉永元年に建造された本丸御殿が残っている江戸時代の城郭です。本丸御殿が残っている城は全国的にも珍しいのですよ。川越の場合、本丸御殿が残ってる、ってだけで、前は野球場だし後ろは高校だし、ほんとーに「本丸御殿が残ってる」ってダケといえばだけ、なんですけどね(高松城とかと比べちゃうと状況がねー)。
近年大修理が行われ(平成24年に終了)、状態は良好。百名城スタンプは、本丸御殿の受付に声をかけると出してもらえます。シャチハタ式で状態はよし。おくすり手帳に押すわけにはいかないので(それもありか?)、手持ちの懐紙にペタッと押して無事ゲット。
初夏の日差しは暑いですが、風がよく通り抜けて涼しげな御殿です。日本家屋は夏の涼をもってよしとするのだ。

御殿を出て道を渡り市博へ。企画展は「古代入間郡の役所と道」を開催中でした。展示担当は墨書土器マニアか?と勘ぐってしまうぐらい、墨書土器がいっぱい展示してありましたー。

さてさて。博物館を出て再びバスに。札の辻で下車して、川越といえばここ!「蔵造りの町並み」散策と参ります。
Kasi
メインストリートをちょいと歩いて横道にそれ、菓子屋横町へ。有名な通りなのでもっと長くてたくさん菓子屋が並んでいるのかと想像していたら、ほんとにちょっとした横丁でした。しかしすごい人出だ。
連れはここで巨大麩菓子をゲット。
メインストリートに戻り、またちょっと横道にそれて遅い昼食はお蕎麦にしました。川越は麺類はうどん屋が多い感じでしたが、おいしい蕎麦でございました。Kane
再びメインストリートに戻り、川越城本丸と市博と三館共通券では入れる蔵造り資料館へ。
ここは煙草商人の蔵造家屋を改装した資料館。表店を抜けた庭のところに「時の鐘絶景スポット」という表示があったので、そこから川越の象徴時の鐘をパチリ。ちょっと遠いなぁと思わんでもないですが、風情があるといえば風情がある、のかな。絶景って程かなぁ=とぼやきつつ・・・。
川越はたびたび大火に見舞われて、今の町並みは明治の大火後にできたもの(安政年間の古い蔵屋敷も残っています)。資料館内に火事の記録がありましたが、まーほんとによく焼けてます。しかも一回で焼失する範囲が結構広い。でも、戦災に遭わなかったのは幸いでした。現在は国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。この街並みはすごい賑わい。で、車やバスもバンバン通るから結構アブナイ。日曜昼間ぐらい歩行者天国にでもすればいいのに・・・とか思うけど、観光バスも乗り入れているんだからそうもいかないか。交通の便と観光客散策の安全確保の併存は、なかなか悩ましいところだと思います。

蔵の街を抜けて、大正浪漫通りに入ると、パタッと人通りが少なくなります。
阿由多はここで恒例!地ビールゲット。川越小江戸ビールは5種類あり、そのうち最もポピュラーな二種類は館があります。瓶も風情があって好きですが、持ち運びを考えると缶ビールはありがたい。しかし、阿由多的にはどうしても外せない黒ビールは瓶オンリーだったので、結局瓶ビールも購入。まあいいさ、趣味だから。
さらに南下して熊野神社に立ち寄り(ご当地漫画「神様はじめました」の縁神社であるらしく、キャラ絵馬がありました)、古い蔵を利用した観光センターのような「小江戸蔵里」で、川越に来て芋を全く食べないのもなんだ!ということで芋プリンとコーヒーセットを食し、お土産物をもろもろ。
だーらだらと商店街を歩いて、川越駅へ。振出しに戻って散策は終了。
商店街に戻って夕食を食べて、帰途に就いたのでありました。

これから暑くなる時期にはあんまり散策に向かないような街並みですが、古い建物を生かして現代に適応してコンパクトにまとまっている観光スポットでございました。蔵の街をぶらぶら歩くだけなら半日かけずに済みそうですが、バスの便もいいですし、やはり本丸御殿と喜多院には足を延ばした方がいいんじゃないかなーと思う次第です。

中伊豆北条氏らぶツアー ~伊豆長岡編~

更新が遅くなりましたが、ツアー本番!我らが北条氏の本拠地、伊豆長岡にいざ、見参!

Yaehime

市町村統廃合の関係で、今は「伊豆の国市」になっている伊豆長岡。修善寺からは電車に乗って伊豆長岡駅で下車。駅で地図を手に入れ、モデルコース、その名も「頼朝・政子ロマンの路」(ここで笑ってはいけない)の散策を開始。
ロマンの路ですが、第1ポイント眞珠院は頼朝がちょっかいを出して子供こさえたけど親父に反対されて赤子を殺され自らも身を投げたという伊東祐親の娘、八重姫を供養するお寺。いきなりドロドロです。供養堂には小さなはしごが奉納されていました。なんでも、入水した姫君をはしごがあれば助けられたと里の人々が後悔し、供養のために奉げたのがはじまりとか。今ははしごを納めてお願い事をするらしいです。
建物は近年のものですが、裏手の墓地の中に由緒のありそうな石塔がありました。
Sekito
このお寺は川沿いに、すぐにそそり立つ岩山の懐にあります。この岩山(守山)の裾を通る道が鎌倉古道。お寺の山門はみなこの道に向いているので、由緒のある古い道であることがうかがわれます。今では静かな(静かすぎたよ・・・)住宅街の中ですが。
脇道横道が大好きな阿由多にしては珍しく、地図のおすすめコースにしたがって、頼家の訃報を聞いて出家した、甲斐武田の五代目武田信光(かの有名な武田信玄のご先祖)が開山したと伝えられる信光寺を通り過ぎ、願成就院へ。
願成就院は、北条時政が頼朝の奥州攻めの戦勝祈願のために建立したお寺です。北条氏の氏寺として、全盛期は伊豆地方屈指の大伽藍を誇ったそうですが、後の北条氏、早雲がこの地域を支配にかかる動乱でほぼ全焼。現在は寺域をだいぶ縮小し、江戸時代に再建・整備されたものです。かやぶき屋根の本堂は、残念ながら修理中でシートと足場で囲われてしまっておりました。
ここでは時政は重要な開祖様。お墓が境内の一角にあります。今年没後800年ということで、昨年800年遠忌供養のため、墓の周辺を整備したそうで、確かに玉垣や解説の石碑などはぴかぴか。「大事にされているのね、パパ」と相方と話しつつ、まずはお墓参り。
Tokimasa
「息子らにダメだしされて鎌倉から追っ払われてしぶしぶここに引きこもったのよねー」、「パパ、やりすぎちゃったからねー」とかんなんとかいう不届きな会話を、お寺の関係者には聞かれないようにしつつ、近年国宝に指定された運慶の仏像5躯がある大御堂に上がります(ここから先は撮影禁止)。
この仏像群は、古くから運慶仏として古くからその存在を知られていましたが、寺がたびたび戦火に遭った歴史などから、真作ではないと疑われてきたいわくつき。様々な調査研究によってようやく2013年に本尊の阿弥陀如来以下、不動明王、二童子、毘沙門天が全て運慶真作と認められ、国宝に一括指定されました。よっぽど嬉しかったのか、それを記念する立派な石碑が境内にどどーんと建っていましたよ・・・。
誰が作ったとか国宝とか云々抜きに、とてもいい仏様です。
続いて宝物館には、北条時政のビジュアルといったらこれ!とおなじみの時政公像と娘の政子の面影を映しているといわれる地蔵菩薩のほか、発掘調査で出土した遺物などが飾られていました。
時政公坐像の前で「パパだ!」「見たことある親父さんの顔だ~」と喜ぶ変な二人連れ。
ともに息子の四郎義時・五郎時房兄弟の方が好き、という組み合わせですので、彼らに隠居させられたパパさんに対しては、散々ないいようでございましたが(笑)、わかっているのよ、パパさんあっての四郎・五郎だと。そこは親愛の情をこめて、ってことで勘弁してください。
それにしても、そうかー、800年も昔の話なのねー。

Moriyama
願成就院のすぐ隣にあるのが、守山八幡宮。頼朝とのかかわりが伝えられ、ここで旗揚げを祈願したとも伝えられています。八幡様は源氏の氏神ですからね。お参りする機会は当然あったでしょう。
鳥居の向こうに見える建物は本殿にあらず、舞殿。毎年三番叟が奉納されます。本殿はというと、階段をずーーーーーと登るはるか上。ごめんね青春!、上までお参りする気力はありませんでした。

再び鎌倉古道に戻り、北条政子産湯の井戸を目指します。
この辺を歩いているとなんとなく、鎌倉の風景にも似ている気がします。今では結構な住宅地ですが、一昔前は多分豊かな田園地帯だったんでしょう。もちろん田畑もかなり残っています。鎌倉時代の昔も、それなりに豊かな土地であったんでしょうね。
Ido
北条政子産湯の井戸は、時代をスパーンと飛ばして室町時代、足利政知が御所を構えた堀越御所後と伝えられる広大な敷地の一角、といっていいところにあります。看板の説明をよく読まなかったので、最初はそこが北条氏館跡だと思ってしまいましたが、そちらは谷戸一つ向う。うーん、ここまで産湯を借りに来たのかしら?と首をかしげる距離でございます。
まあ、その辺は突っ込まないのが「伝承」のお約束ってもんでしょう。古びた井戸の底には、水がありました。現役で水が出るのかなあ?その辺の解説はありませんでした。
先述したとおり、北条氏館跡はちょっと距離があります。狩野川に面した場所で、守山を挟んで東側に願成就院、西側に館、という立地になります。まさに北条氏の本拠地。鎌倉北条氏滅亡後、一族の娘がここを寺にして供養を続けたとか。看板はきれいにできていますが、ウマが置いてあったり虎ロープで通行止めしてあったり、発掘調査が行われたの形跡がはっきりと。埋め戻し後によーやく草が生えてきたくらい、という匂いがプンプンです。整備はこれから、という感じです。確かちょっと前に発掘の現地説明会やったはずだよなあ。来たかったなあ・・・。
Hojyo

川向うにあるという、義時の菩提寺で泰時が建てたという北条寺は、橋はずいぶん上流か下流か離れたところで川を渡れずに断念。残念。北条スポットで観光散策ルートを売り出すなら、ここは北条邸跡の真ん前あたりで対岸に橋を架けるのが利便性ってもんじゃないっすかね~、伊豆の国市さん。ま、もっぱら反射炉押しで、北条氏なんぞどーでもいーのかもしれませんけどー。
そんなわけで、義時の墓参りはあきらめて(本人が眠ってるわけじゃないしねー。建てたの泰時だしねー)、いずれ車でリベンジを果たすとして、来た道をてくてくと戻り鎌倉古道にでましてさらに北上、頼朝と政子が新居を構えた跡に建っているという成福寺を覗いてから東に進路を変えて、韮山駅を左手に見つつ「なんでこんなに広くて真っ直ぐなんだ!?」と車がほっとんど通らない直線の道を伊豆箱根鉄道の線路も超えて歩き、蛭ヶ小島公園へ。
蛭ヶ小島は頼朝が流され、13から34歳までの約20年間を過ごしていたという場所。小島といってもど・平地。ここからまあ、伊東の娘に夜這いをかけて子供こさえたり、政子のとこにも通っちゃったりとしていたわけですね。伊東の屋敷はどの辺にあったんだろう?
Futari
公園には頼朝・政子夫婦の銅像が建っています。天気がいいとこの二人の視線の先にどどーんと富士山が見えるとか。降りこそしない、というあいにくの雨模様につき、富士山はどこにあるやら・・・ですが、公園内のお茶屋で写真を見せていただきました。
平坦地をだらだら歩くのもいい加減疲れてたし、頼朝・政子ルートはここまで。でもまあ、せっかくここまで来たんだから世界遺産入りを目指している韮山の反射炉ぐらいは寄っていこうね、とは思い、お茶屋で路線バスを訪ねると、あっさりきっぱり「ないよ!」の返答。
あたくし、某テレビの旅番組でも太川陽介の気持ちが一瞬すごくよく判った気になりましたよ・・・。
お店のおじさん曰く、歩いても15~20分程度、ということなので結局歩くことに。タクシー呼ぶのもばかばかしいしね。相方ともども歩くのはそんなに苦じゃないんだけど、修善寺でお土産買いこんで余計な荷物があったし、できれば楽をしたかったんだけど・・・・。お茶屋でお茶をごちそうになって、ついでにコーヒーを一杯頼んで休憩。
風もやんだし、相変わらず富士山は見えそうもないけど、いざ鎌倉!じゃなくて反射炉へ歩く。
あ、ついでに、銅像「蛭ヶ小島の夫婦」の夫婦、には「ふたり」とルビがふってありました。脱力していいっすか?

江川邸方面は省略し、一路反射炉へ。この函南反射炉線という道は、結構大型車両も通ります。ちらほらと観光バスの姿も。そうかー、この辺は徒歩で回るとこじゃないのねー。とつぶやきつつ、歩くこと15分くらい。だんだん反射炉こちら、韮山反射炉を世界遺産に!的な案内表示が増えてきたと思ったら韮山反射炉に到着。その手前は、明らかに大型観光バスをすれ違えるようにするための道路拡幅中・・・。

Hansya

えーとー、韮山反射炉です。幕末の韮山代官、江川太郎左衛門英龍が品川台場島に設置するための大豊を鋳造するために建設した鉄の溶解炉です。現在は国有の国指定史跡。九州、山口とタッグを組んで、目下世界遺産登録に向けて売り出し中!ってなおざなりの説明を付けて。いや、こういう技術系の遺産やうんちくも嫌いじゃないんですけど、どっぷり鎌倉時代気分だったので、イマイチのり切れなくて。
いやー、北条側のルートをあるっている時はほとんど人に会わなかったのに、なんでこんなにいるんだ!ってくらい人がいました。お土産物売り場大盛況。車や大型観光バスで、ピンポイントにブーンとやってきて、後はさっさと移動していちご狩りとか温泉とか、そういうのがここの観光は王道なんだなーとしみじみ。これから伊豆長岡駅まで歩くのに、うっかり地ビールを3本買ってしまう私も大概ですが。

そうしてスタート地点の伊豆長岡駅に戻る途中、農協近くにゴロスリののらにゃんこ2匹に遭遇して癒されたりしてゴール。ホームを間違えて三島行の電車を一本乗り過ごすというあほをやらかしましたが、駿豆線で無事、昨日出発した三島駅へと帰着。
1泊2日の北条氏らぶツアーはこうして終了したのでありました。
ブログは無駄に長かったけど、1泊2日だったんです・・・。
相方は東京でさらに一泊してご帰還。私は仕事が休めず付き合えなかったので、三島駅でお別れ。
お疲れ様でした。

中伊豆北条氏らぶツアー 修善寺編

さてさて、三島市街を徘徊散策して、伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り、一路終点、修善寺へ。
途中裾だけ富士山が見えました。もんのすごい近くにあるんですけどね~。

修善寺駅は24年秋に改修したばかりとてぴっかぴか。修善寺温泉にはバスに乗らねばいけません。お土産物屋さんにある軽食コーナーでコーヒーでも・・・と思ったんだけど、同じ駅舎内にセブンイレブンがあるじゃない。セブンカフェでいいや、と。100円の値段差をケチったわけじゃありませんよ。セブンのコーヒーってそれなりにおいしいじゃん。知らないお店より知ってる味を選んだだけですよ、ハイ。
Nori
伊豆箱根鉄道もそうだったけど、バスもスイカが使えない!思えば、現金払いでバスに乗るなんてものすごい久しぶりです。おつりが出るんだか、最初に両替するんだか分らなくて、おろおろしてしまいました。
さておき。
修善寺温泉街に到着したのは4時半過ぎ。修善寺宝物館はもう閉館してしまってる。でも宿に行くにはちょい早い・・・ということで、中心地から一番離れた源範頼の墓へレッツゴー!
範頼は、怜悧堅実なお兄ちゃん(頼朝)と暴走大将な弟らに挟まれて、影の薄い6男坊。全成も義経も頼朝と一戦交えたけど、範頼はあっけなく殺されちゃったしねぇ=。
彼の殺害に北条氏がどの程度関与していたかわかりませんが、その影響下にある修善寺に幽閉されて殺されたんだから、味方でなかったことは確かでしょう。九州にいれば独立できたかも知れないのにね。それができなくてお兄ちゃんのお膝元で、たぶん悪気なく頼朝戦死の報にほんとに狼狽えて、頑張んなきゃ!と気負っちゃって足元掬われちゃった感じです。戦さは結構上手だったからね。
お墓は小高い丘の中腹にあり、修善寺の町を見下ろせる眺めの良いところ。立派な五輪塔でのどかな感じがして、少しは彼も浮かばれるかな。遅かれ早かれ、大成せずに終わっただろう人だからね~。
とかなんとか、散々なことを相方といいながら(いやいや、親愛の情ですよ)、お墓参りを済ませて川沿いにおります。
Take

赤蛙公園を通りしばらく進むと「竹林の小径」と名付けられた、文字通りの竹林に散策路が通っているスポット。竹は雨っぽい方が風情がありますね。
関東人は何とも思わないんだけど、北海道人には竹林はなじみのない風景、鎌倉も竹林ばっかりですから鎌倉フリークには見慣れた光景なんでしょうが、相方はそれでも竹林を喜んでおりました。
Yado

竹林を抜けてすぐ近く。独鈷の湯が見える川沿いに建つのが本日のお宿、「花小道」。古い建物をリノベして、再開業したというお宿です。いわゆる「文化財級」の建物と伝統を誇る老舗と違って、リーズナブルでよいお宿です。私は古い建物は好きなんですが、仲居さんに部屋に入ってこられる和風旅館は苦手なので、和の雰囲気を保ちつつ、部屋はベッドで自由気まま、というこういうお宿は貴重なんですよ。
玄関入ってすぐのホールにあったカウチの古さにまずはにんまり。チェックインをするコンシェルジェルームの壁面埋め込みの金庫の扉にくらくら。色浴衣を選ぶのもそっちのけで中庭をガン見して、階段を踊り場上部の明り取りにうっとり。つやっつやの柱にべたべたと触り、部屋の前の黒石と檜板埋め込みの廊下にうっとり。お部屋に入ると板張りにしてベッドを入れてあるけど、床の間は残してあって、ありがとうございます!って感じで。
ハイ、思いっきりツボでした。
障子を開けると眼下は狩野川、独鈷の湯が見えます。立地も抜群。旅館でもなくホテルでもなく、まあ、どっちつかずで中途半端といえばそうかもしれないけど、こういうお宿は長く続いて欲しいですねぇ。

荷物を置いて身軽になって、ちょっとお土産でも見に行きましょかーと出たものの、店じまい早!まあ、メインスポットの修善寺が閉まっちゃうんだから、当然といえば当然か・・・。温泉街なんだからゆっくり湯につかればいいんだもんね。昔の温泉街の雰囲気を残した射的場なんかもあるけど、これは営業前なのか今日はお休みなのか。とにかく夜はお宿でおとなしくするしかないね~、という街です。
開いていたシイタケ屋さんで干しシイタケを買って(この辺はシイタケが名産)、その近くの神社(範頼はここにあったお寺に幽閉されていた)をお参りして、宿に戻ります。
宿のお食事は魚介類中心(伊豆だもんねー)。おなか一杯に食べまして、無料貸切風呂でまったり。あいにく、雨が強くなってきたので露天風呂日和ではないですから、パスしましたが。
板張りの部屋のせいか、どこからともなくカツカツと音が響くのも古いお宿のご愛嬌。ばたばたとうるさいわけでもなかったしね。ゆっくり休みました。前の日お通夜のお手伝いで、結構疲れていたのよ・・・。

でもって、翌日は雨模様。朝ご飯食べて、コーヒー飲んで(お宿のコーヒー、抜群においしかったです!)、チェックアウトの時間まで荷物を置いて宿の傘を借りて、すぐ近くの指月殿と頼家墓、十三塚へレッツゴー!
SigetuSyaka
指月殿は、狩野川を挟んで修善寺と向き合うように建つ小さなお堂。北条政子がわが子頼家の供養のために建てたといい、鍵も掛けずに無造作に、鎌倉時代作という釈迦如来座像が鎮座しています。大丈夫かいな・と心配になるオープンぶりだけど、土地で愛され大事にされているんでしょう。本来仏様というのはこうあるべきなんですよね・・・。防犯防火で保存のためにがちがちのケースに閉じ込められているのが、異様なんでしょう。

指月殿の裏側に、源頼家の墓があります。
Yoriie
供養塔の前に隠れるようにちょこんとある、小さな五輪塔。範頼の墓と比べるとずいぶんちっちゃいなあ・・・。
頼家は、鎌倉幕府の創始者源頼朝の長男で二代将軍。そして将軍位から引きずりおろされて修善寺に幽閉され、やがて暗殺された自業自得悲劇の青年将軍です。岡本綺堂がそれを題材にして書いた「修善寺物語」で有名になりました・・・って、今はあんまり舞台にもかかってないみたいですけど。
私も相方も北条氏びいきですし、鎌倉幕府の公式な歴史『吾妻鑑』は北条氏側の視点で書かれてますから、記録された頼家のご乱行については割り引いて考えなきゃいけないでしょうけど、待望の跡取りでちやほやされたお坊ちゃまであったのは間違いないでしょう。もう少しお父さんが長生きしてくれればまた違ったんでしょうけど・・・。時政と比企能員の、マゴの地位を利用して自分の権力地盤を強化したい両タヌキ爺に翻弄されてかわいそうっちゃーかわいそうですが。北条びいきから見ると、足元掬われる方が甘いのよ!の一言で片付いちゃいます、ごめんね頼家。
13nin
近くに、頼家とともに殺されたという13人を祀った塚があります。周りの玉垣がやけに新しいと思ったら、元は少し離れたところにあったのが、何年か前の大雨で山が荒れたので現在位置に移されたとか。13人の名前も伝わりませんし石塔の様式的には頼家と同時代ではちょいと説明のつかない形式ですので、後世に作られた伝承にヨものでしょうが、この土地では頼家は悲劇の将軍として、大切に弔われてきたんだなあ、というのが偲ばれます。

さて。そろそろ修善寺の門があきます。
宿に戻ってチェックアウトをし、橋を渡っていざ修善寺へ。
Syuzenzi
まずは本堂にお参りを済ませ、宝物館に入ります。雨はどうにか傘を差さなくても大丈夫かな、という塩梅になってきました。
修善寺の宝物館には、北条政子や頼家縁の品や、修善寺建立に関する資料。そして「修善寺物語」の重要なモチーフ夜叉王の面のモデルとなった面などが収められていました。
今回、この時期に来たのは雛人形展と合わせて、いつもはみられない修善寺の庭園が見られるから。しかし、そちらの方の開場にはまだ若干時間があるので一旦お寺を出てお土産物を買いに。
自家製量り売りというわさび漬けをゲットして、再び修善寺へ。
雛人形展は別料金。書院に上がってつるしびなやら雛飾りを見ながら、奥の廊下から庭を鑑賞。
さすがに伊豆のお庭です。溶岩を組み上げたかなり高さのある滝が!
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今の修善寺は明治20年に再建されたもので、書院や方丈は明治38年になってから整えられました(現在の建物は昭和の再建)。庭もそのころに作庭され、整ったのは明治40年になってからとか。
いわゆる池泉回遊式の庭園ですが、非常に高低差があるのが京都なんかのお庭とは違います。溶岩使ってるしね。作庭師などの詳しい資料は残っていないそうですが、地形を生かした、修善寺ならではの庭だと思いました。

さてさて。メインスポット見学を終えまして。いよいよ北条の本拠地、伊豆長岡へ参りましょう~~。
ってなわけで、まだ続くのです。

中伊豆北条氏らぶツアー 三島編

3月年度末体制と戦うための英気を養おうと、一泊旅行に行ってきました。
相方は北海道から「いざ!鎌倉」の鎌倉幕府フリーク。もちろん、鎌倉北条氏とおまけのように源頼朝の即席なんかを訪ねるという、オタク(今どきは歴女というべきなのだろうが、やはりそぐわないわが身かな)なツアーになりました。
さてさて。

初日。
特に事前調整したわけでもないのに、羽田から三島に向かう相方と、偶然同じ新幹線に乗り合わせ三島駅ホームで合流。まずは三島大社に向かいます。
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三島は伊豆半島への玄関口。三嶋大社は源頼朝が源氏最高・・・じゃない再興を祈願して旗揚げをしたとされる神社です。本殿はケヤキの権現造。ま、一応頼朝にかけた北条氏ゆかりの地を愉しむツアーですから、まずはここからご挨拶ってことで。
境内にある金木犀は国の天然記念物ですが、だいぶ痛んでいるご様子で、職人さんが手入れをしていました。全盛期の写真見たことがあるけど、花期ではないというのを割り引いても、ずいぶん寂しい枝ぶりになっていたなあ・・・・。

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天気予報は雨の確率高め。空もどんよりでしたが、時折は日差しも出てよさげな雰囲気になって参りました。
神社の駐車場にあった河津桜は満開(やや過ぎ)。
花を愛でつつ駐車場を通り過ぎ、三島暦の館を目指します。

さて。
三嶋大社は創建不明ながら、『延喜式』の神名帳にもその名がある由緒正しい式内社(もっとも、神名帳に記された所在地と現在地が違うので遷座や誤記説があります)。どちらにせよ平安時代から知られている、東海随一と言われたお社です。

で、三嶋大社の創建にかかわると思われる、伊豆の国府が三島に置かれた奈良時代、都から移ってきたと伝えられる河合家は代々暦を製造・販売してきたといわれる三島の旧家。
そのご子孫が代々住んできて、三島氏に寄贈され、暦の資料館となったのが「三嶋暦師の館」。
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三嶋暦は「かな文字で印刷された暦としては日本最古」と言われる暦です。頼朝も使っていたんじゃないかーと言われてもいますが、残念ながら鎌倉時代にさかのぼれる暦は現存していません(現存最古は室町時代のもの)。
おおむね中世から明治まで、製造販売されていた暦で、信長や家康も使っていたんではないかと言われます。江戸幕府にも献上していました。暦師の館では、そんな三嶋暦やその版木、関連資料などを展示しています。
建物自体は安政の大地震後、現在の裾野市にあった十里木の関所の建物を使って建てられた、幕末の建築。その後改変が加わっていますが、昔ながらの佇まいを残している平屋の木造建築です管理は地元のシルバー人材センターの方がやっているようで、。座敷の格式で天井の高さが違ったり、障子の貼り紙に暦の反古紙が使われていたり、と細かいところを丁寧に説明してくださいました。

暦師の館を出たら、東海道に向かいます。今では宿場町の面影はほぼまったく、残っていません。気を付けてみていると、本陣跡を示す表示が出ていたりするのですが。
街道からちょっと引っ込んだところにある「時の鐘」は、かつて三島の宿内に時間を知らせていたもの。
鐘楼は新しかったですが、鐘自体は寛永年間に鋳造されたと伝えられています。結構有名らしく行列ができていたウナギ屋さんの裏手にある神社境内にちょこんと鎮座ましましており、いい匂いが漂っておりました~。
諸般の事情により「今年の」除夜の鐘は中止、だそうですが、去年の看板がそのままなのか、今年の話なのか?立派な鐘楼にはしごも階段もかかっていない、どうやって上るのかよーわからん部分もありましたが・・・。
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三島はいたるところに清流が流れている水の町です。なんだか統一性の取れていないオブジェや噴水があったりするのは・・・芸術なのかご愛嬌なのか、ううむ×
それにしても、街中にこれだけ水が流れているのに何たる皮肉、と思うのが楽寿園。
判る人には「上野公園の中にある馬に乗った銅像の人」、小松宮彰仁親王の別荘として建てられた広大な庭園を持つ公園です。かつては中心建物楽寿館の前にある小浜池になみなみと水が満ちていたそうですが、昭和30年代に上流の開発で工場などが建ち地下水が汲み上げられるようになって、どんどん湧水が減っていき、今では写真のようにごつごつとした溶岩で造作された池底が広がる一種異様な光景が通常で、7年に一度くらいしか満水にならない、という状態。無理やりどこかから人工的に水を引いてこないで、湧水の満ちて涸れるに任せているところは潔いと思いますが、満水時の写真と見比べると何とも物悲しい気持ちになります。
楽寿館内部は決まった時間に門前に集合して、ガイドさんの案内で見学可能。撮影不許可でしたので、写真はありませんが、明治20年代の装飾絵画の第一人者たちが描いた板戸絵や天井画が見どころ。細かい意匠も凝っていて、千鳥の釘隠しのぷくぷくぶりがツボでした(そこか!)。

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楽寿園の広大な敷地を散策していると、アルパカとごたーいめーん。
なぜか動物園がありました。
小田原城もそうだけど、昔は史跡名勝と動物園はセットだったのか?
癒されたような、なんだかだまされたような(?)気もしつつ、振出し三島駅に戻って、三島の散策は終了。
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伊豆箱根鉄道に飛び乗って今日の宿泊地、修善寺に向かいますよ~~~!
・・・あ、お昼は食べ忘れました×(よくある話)
てなわけで、修善寺編に続きます。

行田は蓮が真っ盛り

8日に埼玉県行田市に行って参りました。
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メインはここ。「古代蓮の里」。花期真っ盛りというだけあって、この平日にどっから来たんだ暇人め~(お前もだ)ってくらいの人出でしたが、花も見事。前日も雨だったし、翌日は台風接近の予報があったしってーのもあったんでしょうが、朝もはよから、暑いのに、まぁ(ちなみに、出るころには駐車場前は大渋滞でした)。
行田蓮は、約1400年~3000年前の原始的形態を持ついわゆる「古代蓮」。古代蓮というと大賀蓮が有名ですが、それより色が濃くてふっくらした印象です。
この公園は入場無料。行田蓮だけでなく世界各地の蓮を紹介するゾーンもあります。ほかにも梅とか桜とかいっぱいありましたし、一年を通して楽しめそう。
敷地内にある古代蓮会館は50メートル超の展望台があり、蓮池を見下ろせるほか、田んぼアートも見下ろせます。私が行った日はあいにく視界が悪かったですが、関東近郊の山々が見える一大展望スポット。元旦のご来光でも開放してるとか。こちらは有料。もちろん登って参りましたとも。しかし、関東平野だなあ、行田市。

さて、午前中というかお昼にはまだ早い早々に、さきたま古墳群へ移動。行田名物ゼリーフライは以前より胃の鉢形城祭りで食べたので、今回は蓮の実おこわをゲットして、古墳公園でお昼の予定です。
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さきたま古墳群というだけあって、古墳が数基ある辺りは「埼玉」の起源となったさきたま地区。史跡博物館周辺の公園内だけで大小10基ほどの古墳が見られます。将軍山古墳は現地に石室の復元があってそれは博物館との共通券で見学可能。ここもまあ暑いのに駐車場はいっぱいだし、人もわらわら歩いていたり自転車に乗ってたり・・・。この暑いのに物好きな(だからお前もだ)。雄略天皇ゆかりと言われ国宝になっている金錯銘鉄拳・・・じゃない鉄剣が出土した稲荷山古墳(写真)や日本最大の円墳である丸墓山古墳で知られています。丸墓山、未発掘なんですって。未盗掘ってことはないでしょうが、古墳を掘るのは遺跡屋の夢。調査が入るのなら行ってみたいもんです。
公園内は炎天下も多いですが、博物館周辺は緑も多く、旧レストハウスが休憩所になっていて日陰は十分。風も出てきてすがすがしい中、買ってきたおこわで昼食を済ませ、いざ忍城へ。

今じゃあすっかり映画と小説「のぼうの城」で有名になっちゃいましたが、豊臣秀吉の関東攻めの際、我らが北条氏配下の城として最後まで持ちこたえたことで有名なお城。近くの鉢形城は結構早々に開城しちゃったからねぇ・・・。
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忍城はその後、徳川幕府の老中を6人も出した阿部氏、家康の娘亀姫の血筋である松平氏と支配者が変わり幕末まで続きますが、現在残っている建物はなく、写真の三階櫓も復元・・・とはちょっと言えない見た目をそれっぽく再建したもので中は展示室になってます。位置はそのままのようですが、だからかなー博物館の建物とつながってるんだけど動線がイマイチ。制約のある城跡内部での建設なので、たぶん配置には苦労があったんでしょう。正面入り口を入ると等身大ののぼう様(映画のね)がお出迎え。好きな人は並んで写真でもとるんかな~?
お城のことに限らず、そこは「郷土」博物館なので、足袋の町行田の紹介もしてありました。

私は「蓮は朝から午前中のうち!」なので、真っ先にハス公園の方に行ってしまいましたが、行田を観光するなら博物館と忍城をスタートにした方がいいかもしれません。
とにかく暑い一日でしたが、原始古代から近現代、おまけに自然にも親しめる、コンパクトでありながら見どころいっぱいのいい街でした。ほとんど平坦地なので、気候が良ければ自転車を借りてサイクリングも楽しいかも。レンタサイクル、無料です(電動アシスト付はいくらかとるらしい)。

横浜開港祭りと日本丸

5月も末日31日に横浜に行ってきました。主目的は日本丸だったのですが、開港記念まつりが始まっているということで周辺もちらほらと。
いってもしょうがないけど、とにかく最初に一言。
暑かったよう~~~~。
。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
Nihonmaru

さて、帆船日本丸。約50年間、練習船として活躍した帆船です。
今は現役を引退しみなとみらい21地区に現物展示されています。日曜日に来れば帆を張ったらしいんだけど、こっちはお休みの都合ってもんがあるので、そうそう思うようにはいかず。でも、帆を張ってなくても美しい船です。中の見学と、隣接する資料館で横浜港の歴史を知ることができます。
いろいろな船がありますが、やっぱり帆船は美しいですね~。

船といえば、開港祭りの一環で、海上自衛隊艦の見学ができるとかで。


Kaizi


みなとみらい地区の汽車道のたもとから水上バスで象の鼻テラスの方に向かったのですが、途中で停泊しているのが見えました!知ってたらそっち回ったのに~~。


ともあれ、象の鼻テラスについて赤レンガ倉庫へ。アウトドア関連のグッズやらなんやらの展示販売をやってました。しっかし、暑いなあ。涼しければテイクアウトでテラスで昼食なんだけど、お店の中でとりあえず涼む。近くに座っていた二人組に届く品がことごとくオーダーが違ってて、バイトちゃん大丈夫かな、と他人事ながらはらはらしつつ見守っていましたが、混んできたので退散。あのお客さんは自分のオーダーしたメニューにありつけたのだろうか・・・。そしてバイトちゃんは怒られなくて済んだかな?

赤レンガ倉庫から、山下公園を抜けて中華街へ。
山下公園では、ドラゴンボートレースをやっていました。練習不足なんだか、全然方向転換できないで、岸から怒鳴られていたグループが。お祭りならではのご愛嬌ですの~~(笑)


中華街は毎度のことながら人いきれで暑し。
関帝廟と私は相性が悪く、行くとことごとく雨に降られるのですが、今回は雨は降らなかったです。でも、この夏一番の暑さということで・・・。結局、気持ちよく迎えてくれないのね、関帝様。
ま、あたしゃあなたの首取った呉びいきですから、いいんですよ、はい。
媽祖廟隣の公園では、高校生が獅子舞をやってました。
Shishi

このくそ暑いのに、頑張る頑張る。そういや~、自分も中学高校生の頃は真夏の暑い中、焦げ付くような金管もってお祭りでパレードなどしてましたっけ(吹奏楽部)。
中国の獅子舞は頭が大きくて瞼や眉がぴくぴく動くのがカワイイ。二人でやるのが原則で、中が女の子の獅子もいました。頭担当の子を持ち上げたりするんだから、たいへんだろうに・・・。
見てる方が、熱中症になりかけたので退散。中華食材と調味料を買い込んで帰路につきました。


川崎大師に甲斐の猿橋

GWが終わって、やっとお休みができましたので、近場にお散歩とドライブに。
Taisi
川崎大師は今年、10年に一度の大開帳。写真中央に立っている白木の塔婆に、ご本尊から白い糸(襷?)が伸びていて、その先っぽをを握るとご本尊様に直接触ってお願いするのと同じご利益があるとかないとか、まあそういうことで、とりあえずお参りを。
メインは「赤札授与」といって、赤文字で南無阿弥陀仏とすられたお札をもらう、なんですが、これが毎日先着何名様化で、すっげー並んでる。ま、もとより並ぶのが嫌いな私は、でも一応、最後尾を探し求めてうろうろしたら、まあー平日だってのに並んでる並んでる!で、最後尾にやっと到達したら「本日はここまで」。あぶれた様子の方々は、翌日も並ぶのかなあ・・・。
宝物展示は弘法大師や両界曼荼羅の掛け軸などを展示中。古い方の両界曼荼羅と梵字の曼荼羅、折しわやらすれやらが酷くて修理したそうだけど、ずいぶんきれいに仕上がってました。
仲見世は咳止め飴とだるま屋と、くずもち売りのお店が左右に軒を連ね結構にぎやか。冷やし甘酒をいただき、くずもちをお土産に買って退散。

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甲斐の猿橋は大月市にある刎橋。一度見たかったんだけどなかなか行く機会がなくて(というか、いつでもいけそうな気がして後回しになっていた)、ようやく行ってきました。まあ、なんですか、写真で見たまんまだ(笑)これは昭和に入って復元工事をしてコンクリが入っちゃってるんですが、かつて芭蕉に詠われた風情は残っています。紅葉の季節を売りにしてますが、新緑もなかなかいいものでした。

ついでに寄ろうと思った川崎の東芝科学館(3月にリニュする前に一度行ってますが)、大月市郷土資料館もお休み。連休明けでお休みなのか定休日なのか、猿橋の山椒せんべいもお店が閉まってて購入できず。私が休んでるんだから同業者が休業してるのも、ま、しゃーないよねえ。
次は大山かな。
久々に一人でのんびりの休暇でした。

世田谷ボロ市

何年ぶりかな~。世田谷のボロ市に行きついでに、周辺をちょっとうろうろ。
豪徳寺の招き猫の山は相変わらず圧巻。何年か前にひこにゃんが来たらしく、招き猫を売っているところに写真が飾ってありました。よく見るとぬいぐるみも。
豪徳寺から烏山川緑道をプラプラ歩こう~と思っていたら、なんと城山小学校から先が工事中!うわー、これは落とし穴であった。
で、仕方なく国士舘の前を通って松陰神社・・・もなんだかえらくキレイになっていた。ってか、松蔭先生の銅像増えてるし!さほど広くない境内に同じ人間の銅像ふたっつって、さぁ・・・。うむ。
ボロ市は、さすがに月曜日だけあって寿語彙混雑というわけではなかったけれど混んでいました。今年は年の瀬の市でのお買い物らしく、ソバ用のざるを購入。いつもろくでもない骨董や帯やらを買っていた道楽者が、我ながらトシをとったものです。
Nyanko