岩倉具視の暗号文発見!

読売オンラインニュースで記事発見!
自他とも認める岩倉具視フリークの阿由多、発狂中(*゚∀゚)=3 ムッハー!!

で、ニュースはというと。
 岩倉具視が西南戦争で使用した円盤状の暗号表(中略)が、京都市内で見つかった。(以下略)。超省略。
そうで。
で、この暗号表を使って大久保利通と交わした暗号文の手紙もあるとか。
『岩倉公実記』編纂に携わった山本復一の家の土蔵から出てきたそうですが、そんなとことっくに調査されてると思ったよ。破棄命令を無視して保管してあったというから、長く秘匿してるうちに忘れちゃったのかなあ(時効はもうとっくだと思うんですがね)。まだまだ、出てくるもんだなあ、京都。何が隠れているかわからん。

しかし、しかし。い=や=、我が愛しの具視ちゃんの暗号文!あのしかめっ面で暗号盤捻りながら手紙読んだり書いたりしてたのか~~。似合いすぎだろ、このこのこのヽ(*≧ε≦*)φ 
他に数百点の資料ですって?公開されたら見に行かなくちゃ~~~!『岩倉公実記 補遺』とか出たら買わなくちゃー!!(って、ニーズあるのかよ)。
具視ちゃん関係ってニュース少ないし話題も少ないから、嬉しいです~~。
暗号表駆使してた、なんてなるとまあ、悪人説は助長しそうであるが・・・。いいのだ、それでも好きさ~~~heart04

実朝忌

本日は鎌倉三代将軍源実朝の忌日。甥の公暁の逆恨みで鶴岡八幡宮で暗殺された日です。
阿由多は実朝将軍が大好きheartついでに北条義時、時房兄弟も大好きなので、暗殺の黒幕が義時説には与しません。大体、北条兄弟に当時将軍を殺して得になることはなかったし。彼らに政治の実権を握られて、実朝が拗ねて政治を省みずに和歌ばかり詠んでいた、なんてお説もありますが、鎌倉のトップとして京都の朝廷と顔をつなぐためには、将軍は和歌詠めなきゃ困るんですよね。トップ外交、文化交流というやつです。京都との交流という点で、実朝夫妻が果たした役割は大きかったと思うんですよねぇ。
なぜ実朝が公暁ごとき(あ、ひで)に、あのタイミングで殺されなければいけなかったのか・・・と、毎年思う次第です。実朝の命日は公暁の命日でもあるはずなんだが・・・ま、そんなことはどうでもいいや。

文化財防火デー

カテゴリに悩んだけど歴史と文化だな~ってことにしとく。
本日1月26日は文化財防火デー。1949年のこの日、法隆寺金堂が出火、壁画などを損傷しました。
壁画の模写作業に当たっていた作業員(美大生だったと聞いてます)の暖房器具が火元だったとか。
修復・保存のための作業をしていたために火が出ちゃったんじゃあ、しょーもなー、ですが。
この反省から、文化財を火災から守る意識を高めようと1955年に制定されたのが「文化財防火デー」。まあ、火事の多い季節ですしねぇ。
昨年は、お寺の防火訓練を見に行ったのですが、今年は仕事で事務室に篭もっておりました。
形あるモノはいつかは滅びる、とはいえ、貴重な文化財、後世によりよい形で伝えていって欲しいものです。

ちなみに、焼損した法隆寺金堂壁画は保存処理が施されて1994年に特別公開されました。阿由多は見に行きましたよ~。今は非公開らしいです。

イプシロン

ロケット、飛びました!
仕事で中継を見られなかったのは残念。でも、見られた子供達が嬉しそうだったのは何より何より。
商業ベースに乗る道のりは長そうだけど、がんばって欲しいモンです。
種子島より、内之浦の方が、いつか打ち上げ見に行けそうだしなあ~。
こうのとりの再突入時のデータが取れなかったのは残念だけど、今度はうまくいくよ、きっと。

念仏講

念仏講は、その通りみんなで(主に女衆)集まってでっかい数珠を輪になって、念仏を唱えながら回す行事。まあ、月待ち日待ちと同じで、要はそれを口実に集まって、茶ぁ飲んで夜遅くまでしゃべりまくる、昔の農家の主婦連のささやかな楽しみだったわけで。
母方の実家にはつい最近までその風習があって、祖父母の葬式の時、自分も参加したし手伝った。実に大変であった・・・。これは、行く方は手ぶらだけど、迎える(会場になる)方はもう大変。お茶出しとかお菓子の用意とか、全部やるのようっ。
んでも、私の祖母の葬式後に行われたのが最後で、この度御道具類を地元資料館にお引き取りいただくことに。
なんだか自分自身が土地に伝わった行事の終焉を見るってのは、不思議な感慨がございます。
・・・でも、続けろといわれても無理!ハンパない労力なんだもん。呼ばれる方だって気を使うだろうし。
こうやって、色々なものが消えて行くんだなぁ。

キトラの朱雀

剥ぎ取り作業が進められているキトラ古墳の、朱雀の剥ぎ取りは不可能、とのニュース。
なんでも、薄いところでは漆喰が1.5ミリしかなく、3.4ミリ以上の厚さがない漆喰を無理に剥ぎ取ると粉砕の懼れがある、とか。

で、専門家の間では、解体保存を、という声と、現地に保存して将来の技術発展に委ねるべき、という声があるとかないとか。
んで、解体保存がなんでダメかってと、認めると、現地保存の意義が低くなる、ってことらしい。

ふ~ざ~け~ろ~よ~(怒)

刻々と変化する自然環境を配慮せず、指定された一点を、僅かな面積のみに「現地保存」のお題目を振りかざした結果が、今の事態を招いたのだ。
高松塚にしろ、キトラにしろ、解体、剥ぎ取り、の道を選んだ時点で、文化庁は「現地保存」の歪みを認めたのだ。
古墳の外に持ち出し、古墳の原型を損なってでも壁画を保存すると決めたのなら、貫けばよい。

勿論、「現地保存」の意義を、頭から否定するつもりはない。
その土地、その場所にあってこそ輝きを増し、意義を持つ文化財も当然、ある。
だが、人が生活していき、時が過ぎていく限り、環境は変わるし、形あるものはいつか朽ちる。
自然の中で朽ち果て、消えていくのもまた自然。
「現状保存」の考えを貫きたいなら、キトラの壁画だって、一つの古墳、一つの壁画の終焉を、それこそ現地で「記録保存」しておけばよかったのである。

剥ぎ取り、という手段を選んだ時点で、自然に逆らい、人為に頼り、現状を放棄したのだ。
かくなる上は、なんとしてもキトラの壁画を、救って欲しいと思う。
そうでなければ、既に剥ぎ取られた壁画も、内臓を抉られた古墳も、報われない。

高松塚解体

高松塚古墳の石室解体決定。
・・・決定って・・・、いいのか文化庁!特別史跡だろう!!

国の史跡は、現地で、現状で保存が原則。
史跡指定地は、現状変更に大変な規制がかかっていて、時に地元住民に負担を強いることにもなる。
そーして、史跡地を持つ地元は苦労して、現地保存に努力しているのだ。
それ、保存のためとはいえ、墳丘を掘削し、石室を取り出してよそに持っていってしまうなんて、超法規的措置。
十分な議論は成されたのだろうか?

原則は原則。
一律ではなく、その場その時その状況、に応じて個々に対応を決める、というのが別に悪いとは思わない。
特に、史跡の保護なんて、それがある場所によって状況全然違うんだし。
だけど、一律に現地保存・現状維持主義を主張してきた文化庁が、高松塚に限って・・・と思うと、なんか不信感が・・・。
十分な保存措置を施されてきたのだろうか?(今更いっても仕方ないけど)
墳丘を抉られ、石室をもって行かれた「現地」はどうなるんだろう?
史跡としての価値を、文化庁はどう評価するつもりだ?
なんてことをあれこれ(少し意地悪に)考えてしまうが・・・。
今後の動きを見守りたいところであろ。

勿論、高松塚の美しい壁画が修復され、明日香村のあの美しい風景の中で見学ができる日が来るのを祈る。
・・・古墳の中身を見学するってこと自体、古墳本来の存在意義じゃないんだろうけどさ~。

針供養

今日は針供養。縫い針を休め、折れた針に感謝して供養をする日、とされています。
豆腐やこんにゃくに、折れた針を刺して神前に供えたりします。

といっても、今では針を使って縫い物をする、なんてことはとんとなくなりましたね。
雑巾だって100円ショップで買える時代だものなぁ。
阿由多は不器用、というより根気のない方で、縫い物・編み物はハナからパス。
一応、ボタンつけくらいはしますけど・・・。
供養するほど針を酷使しないので、針供養って、実はナマでやってるの見たことありません。
でも、こういう習慣は、なくなって欲しくはないと思います。
人にもものにも、感謝の気持ちを大切に、ってことで。

藪入り

藪入り、は、かつて住み込みで働いていた使用人が、主人の許しを得て実家に帰れる日のこと。
この日と7月の16日をいいましたが、週休二日が当たり前、の昨今、死語・既に埋葬済、といった感じ。
「宿入り」が転訛したものだ、といいますが、語源は諸説あって不明だそうです。
因みに、「藪入り」というのは商家の表現。武家奉公は「宿下がり」といいました。

明治末期に初代柳家小せんが、ペストが流行していたため、警視庁が鼠に懸賞金を出して交番で買い上げていたという時代背景に藪入りを習俗引っかけて改作した落語「懸賞鼠」が、別名「藪入り」。
もっとも、この鼠の懸賞金、も今となっては解説ナシじゃ判りませんね。

吉田文之氏死去

人間国宝の工芸家、吉田文之氏が亡くなったそうです。
撥鏤技術を唯一継承するという氏が亡くなって、あの繊細な象牙工芸品の技術はどうなってしまうのでしょう。受け継いでいる人いるのかな。
正倉院の宝物、というと螺鈿琵琶とか、瑠璃杯とか鳥毛立女屏風とかが有名ですけど、私は象牙を紅や藍に染め、美しい紋様が表された撥鏤尺なんかも大好きで。古代の遺品として「物」のみが伝えられ、博物館の中に陳列されているだけでなく、吉田氏によって着実にその技術まで日本に伝承されてきたというのに感動を覚えたものです。
89歳。天寿ではありますが・・・。

ご冥福をお祈りいたします。

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